心のながれについて(4)

   (前日からの続き)
私に言わせれば、さっき言ったように、
人間の生命というのは神様の分生命(わけ
いのち)ですから、神様の光を一瞬でも
滞らせちゃったら、これは生きて
いけないんです。
人間というのは。

だから、器としてどういう風に用いら
れるか分からないけれども、その用い方は
皆違うんだけれども、しかし、この人間は
まだこの世に用があるという場合は絶対に
御用済みにならない。
今日目覚めて、そして生きてるという
ことがわかったら、あーこれは生かして
下さってるんだ、生きてるんじゃない、
生かして下すってるんだと。

だから、自分がどういうふうに器となって
いくか分からないけれども、全身でですね、
お任せします、よろしくお願いしますと
言って、守護霊さん守護神さんに
言い続けてごらんなさい。
あるいは、五井先生に言い続けて
ごらんなさい。
そうすると、実際に、食べるために
着るために、あるいは住むためにね、
仕事でもお金でも入ってきますよ。
肉体を養うにはね。

何故かといったら、霊の生命だけじゃ
この世の中はやっていけないから、この
世の中で、神様のために働かせるために、
神様が必要であれば生かしていくという
ことは、肉体を養っていかないと生かして
ゆけない訳だから。
そうすると、この人間には何が必要で
あるか何が必要でないかというのは、
向こうの方でよくご存知ですから、そこで、
絶対に自分が生かされていくんだという、
そういうことですね。

私は何にも取柄がなかったけれども、
とに角任せてしまったね。
そうして、何もかもゼロ以下になって、
それでも、人間というのは神様が養なって
下さるから生きてゆけると、そのくらいの
素直さだけ持てた。
そうしたら、貧乏にもならずに何とか
この世の中生きて、子供も授かって孫も
授かってゆけた。
その時その時、私はこうして下さいと言って
望みはしなかったんですね。
いろんな夢とか希望とかいうのは別にして、
是非ともこうならなくては困ります
というふうには望まなかった。
そうすると、自分が想い描くよりも
もっと以上のものを神様は与えて下すった。
そういうことなんです。

つまり、自分の本心の中へ、自分の
本心の中へというのは、神様の心の中へ
ですね。
その心の中に一致して、一致させて祈り言を
いってゆくと、世界人類が平和であります
ようにとずっと祈りつづけてゆくと、そこで
神様というのは、その一人一人の人間にとって
一番大事なものを下さる訳なんです。
ですから、そこを信じて私どもは
世界平和の祈りを成し続けてゆきたいと
思いますし、また成し続けていらっしゃる
ように、私はこちらから光を送り続けて
まいりたいと思っています。
     昭和63年6月13日(月)
         五井 昌久