平和な心(5)

         (前日の続き)
 いつも私が申し上げたように、色んな天災
だとか、テンサイと言ったって凡才天才のテンサイ
じゃないですよ。そうじゃなくて天変地異ね。大雨や
雪などの天気というものね。天気というものは、
今悲しいことに、人間の業によって大水が出たり
何だかんだで浄めなければいけない、そこまで
来ている。つまり、業がそれだけ空気を
汚れさせている。人類の心の空気を汚れさせている。
 だから、世界平和の祈りというのは、そういうのを
光明波動でもってサーッと掃除をするというのは
あるけれども、とに角我々一人一人が誠実に
自分の持ち場でずっとやっていると、それが
自分一人だけのことに返って来ないで、そのひびきが
ずっと全体にまわっていって、そうして、宇宙
そのものからも光明がくる。

 さっき私が申し上げたようなああいう順序で
真理が花開いていくというのは、これは真実な
ことなんですね。

 そこまで人間というものは大きくて深い。自分の
身の丈何尺何寸とか昔いいましたけれどね、
今で言えば、160とか170とか、180センチに
なったら高い方だとかいいますけれど、人間の大きさ
というのは本当はずっと宇宙まで貫いていくみたいな、
それ程大きな光明体なんですね。ですから、本当に
深い人を霊視しますと、もうこの会堂いっぱいとか、
この家いっぱいでは足らなくなる。もうずっと貫いて
天までいっちゃうんですね。それは特別な人
じゃなくって皆がそうなんです。皆が光なんです。
 ですから、その光を集めて、そうして何かやったら
これはすごいことになる訳です。

 だから、我々がやってる世界平和を祈る運動
というのは、世界人類が平和でありますようにという
祈りを国と国も、人と一緒にやる。そうすると、
その人達の言葉を、外国人であるとか英語であるとか
独語であるとかいう言葉の壁を超えて、本心の
ひびきで祈るもんですから、その人の本心と私の本心
とがひびき合って、そうして、そこから愛と平和
というものが生まれてくる訳なんです。
 私共の目指している平和というものはそういう
ものなんでして、そしてそれは絵空ごとでも何でも
なくて、人間というものを真実に深めて、じいっと
見つめてみつめ直してゆくと、そういうすごい
素晴らしい働きというものが人間の中にはあるんだ
ということね。それは霊肉が一致してやっていける。

 昔は即身成仏といって、生きたまま仏になるという
ことを目指して生きた。だから、飢えてそのまま
死んじゃったりした人がいますよね。お坊さんでもね。
 本当に無になって死んでる人もいるけれども、
いつかのミイラの話じゃないけれど、即身成仏の
ミイラのそばにいったら、食べたくて食べたくて
しようがなくなった人がいる。

 それは、食べたい食べたい食べたいと想いながら、
一方信仰心で押さえて死んじゃったもんだから、
その食べたいという餓鬼道の餓鬼のようなああいう
心がね、誰か幽体の広い人にとっついて、それで、
その人は食べて食べて、祈ってもらってやっと
食欲がおさまったなんて話があるけれども、あれは
やはりどこか自然なものじゃないですね。不自然な
ものなんですね。人間というのは、霊が非常に
大きいからといって皆自殺する訳にはいかない。皆、
この肉体をもって辛いことがあっても、家族と
ぶつかろうが何をしようが、やっぱり生きて
いかなきゃいけない。それは何の為かといえば、
自分の生命の為なんです。

 自分の生命というのは、明るい朗らかなもの
なんだから、本当は、だから、本当に明るい朗らかな
ものを導き出して、そして、抱き合う為に我々は
何をするかといえば、祈る訳ですね。とに角、祈る
ことによって生命を宣り出す訳ね。自分の中にある、
明るい何ものにも把われないね。生命を宣り出す
訳なんです。その為に我々は心を合わせて祈る
訳なんですね。

 だから、一人だけでポツンと祈ってるように
みえてもね、目に見えない世界で、誰も会ったことも
ないような人達の霊体なんかがすっとあなたの
そばに来て、霊的に言えば、うしろでこう支えて
一緒になって世界人類がーとやってる。あるいは
アーメンとやってる。そういうことは、私なんかの
目から見ますと、いっぱい見えることなんですね。
 そういう、私は一人ではないんだというね、つまり、
皆共に生きてる生命であって、そして、その生命
であるということを確認するんだ、それが世界人類が
平和でありますようにという祈りなんです。

 世界中の人と友達であるかないかなんていうのを
確かめる為に、世界旅行に出るなんてことは
できません。それを、霊的にも色んな意味で、深い
意味で確かめるにはあの祈りしかないんですね。
 世界人類がということを口にしただけで、あーと
思えるというのは、本当にあーそうだ、私は
世界人類の一人なんだなと、その時には、国とか
民族とか家族とか柵とかというそういう余分なものは
もう取っ払っています。もっと大きな視野に立った
ところから自分を見ています。個を見ています。
 そうして全体を見ていくものなんですね。
 ですから、そういう祈りに抱かれて我々は生きて
いくんだということをみますと、ここで平和になる
ということがそれ程絵空ごとでもなく、力むでもなく、
自然にやっていけるようになるということがわかる
と思います。
        昭和63年6月13日
           五井 昌久