2017年04月09日

平和な心(2)

         (前日の続き)
 私は、祈りというのは、キリスト教などでは絶対者に
対する全託という風なことを申しますけれど、それは真実
ではありますけれども、この今生きてる人間が肉体人間の
ままで、じゃあ天父のごとく完全になれといったって、
そんなに完全になれる訳はないのですから、この在りの
まんまで、神様のみ心の中へ入れちゃう。任せてしまう。
 弱いまんまでいいんですね。

 不平不満を抱いているまんまでいいわけ。そうして、
生命の洗濯というものを本当にしていただいて。その為に
祈りのエレベーターに乗って、神様を呼んで、そうして、
自分の中の本来のほがらかな生命の元の根っこのところを
見つめてですね、その根っこのところというのはこれは
宇宙神とつながっておりますから、その宇宙神と
つながっているそういうところを見ていると、これは光明
そのものなんですから、光明そのものの自分を見る
ということにもなる訳なんです。


 宇宙神だけが光明じゃないわけね。自然の中も、それから
ありとあらゆる息しているものね。動物にしろ植物にしろ
すべて生命あるものね。それから、鉱物にしろ何にしろ、
我々からすると、言葉をもたない無機物という風なものでも、
ちゃんと守護する神様がいて、そうしてそれを導いていく、
そういう用命を持ってる神霊方がいる訳で、それは皆光明を
持ってる訳なんです。この宇宙の宇宙子というものは皆
光明を帯びてる。その光明を帯びてる同志が、奥の生命
でもって呼びかけ合って、大調和と愛と平和というものが
宇宙の根本の精神にもなり、それから秩序を保ってる。
 そういうものにもなってる訳です。

 ですが、その中で地球は、宇宙人がいつも幼ない兄弟と
申しておりますように、霊妙な光明波動というものが
なかなか届いてこない。
 人間というのは、自分の我でもって生きるから、自分が
光明そのものだなんて思えないけれども、しかし、ずーっと
日常の中で悩んだり苦しんだり悲しんだりしている中で、
自分をお任せして、そうして何か、本来の生命の中に自分を
入れていきますとね、そうしますと、自分が光であること、
人も光であること、それからこの自然全体の中に
とけ入ってる生命の一部であること、自分自身がですね。
 そういうことが分かる訳です。

 そうして、もっともっと奥を見つめていくと何が
分かるかというと、神様が愛であるということが
分かってくる訳ですね。

 例えば、世の中不公平なんで、才能がある人と無い人と
ある。それから、お金持ちな人とそうじゃない人とある。
 色んな環境の違いというものはあるけれども、しかし、
それは皆想いの現われなんですね。あるいは、人間の生命
というのは、何時も申しますように、今だけの生命
ではない。ずーっと前生、前々生からずーっと
生き通して来ている。そこで獲得してきた色々な環境の
末に、今の想いが重なって、今の環境が出来てきている
訳です。ですから、順境にしても逆境にしてもですね、
一番難しいのは、心を豊かにしてそうして愛深く、
自分にも愛深く人にも愛深く生きるということが
なかなか難しい訳です。

 ですけれども、自分にも人にも愛深く接していって、
そうして、不完全な自分ではあるけれども、それを一回
お願いしますといって神様の前に投げ出してしまった時に、
神様がよしと引き受けてですね、引き取ってね、光を
与えて、今までより以上に光を与えてですね。そうして
本当に、その時には心が平和になってくるわけ。

 祈りの根本というのはそうなんですけれども、
南無阿弥陀仏にしろ南無妙法蓮華経にしろですね、
主の祈りにしても他の祈りにしても、皆祈りという
ものは、そういう奥深いものをもってる訳
ですけれども。じゃあ南無阿弥陀仏といったって、
なかなか今先入観があって、極楽浄土のことしか
浮かんで来ないわけね。南無妙法蓮華経といったら、
日蓮宗のことしか浮かんで来ない。じゃあ日蓮宗だけ
信じていれば、他の所は全部駄目なのかというと、
そうじゃない。

 人間というのは、神様の生命の分かれですから、
皆神の子ですから、そういうものではない訳なんです。
 そういう所から見ますとね、生命の奥の祈りの
もっと奥の光明そのものに辿り着くその道筋というのは、
色々あっていいんだけれども、しかし、人間が本当に
この世に今現代に生きてる我々が、ああそうだなあと
納得ができる、つまり、理論的にも納得し共感が出来て、
そうして愛を呼び起こす祈りとしては、世界人類が
平和でありますようにという祈りが一番心を
落ち着かせる。静かにさせる祈りである。と私は思う
訳ですね。この光明心というものをずーっと散蒔いて
いきますと、自分自身も浄まっていく、まわりも
浄まっていく。別に宗教家になったりしなくっても、
要するに、これをやっていれば菩薩行をやっている様な
ことになる訳です。皆知らない内にやる訳ですね。

 いつも何時も、私は繰り返しこのところ申し上げて
いますけれども、何時の間にか心が落ち着いていく。
 何時の間にか心が静かになる。そういうことが大事
なんです。心を平和にしよう平和にしようと思って、
何か落ち着かせよう落ち着かせようとするとですね。
 例えば、胸がドキドキすると、ドキドキするのを
何とか治めなくちゃあと思うけれども治まらないと、
興奮したり緊張したりすると、ますます顔が赤らんだり
心臓がドキドキしたり、それと一緒でですね。
 平和にしよう平和にしようと思ってる間は、本当には
平和にならないんですね。

 今、自分の心は平和じゃないけれども、しかし、
すいません、このままでよろしくお願いしますと
言ってしまいますと、もう神様というのは、こちらから
見てて、もう完全に抱きとって愛して赦しとってですね、
そうして何時の間にか落ち着かせるように、気持ちを
持っていって下さる訳です。
            (翌日に続く)


posted by wadatsumi at 11:17| 祈り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする