さやけき生命(5)

         (前日から続く)
 例えば、自殺をする人がいるでしょ。入水する
人もあれば飛び込む人もある。色々な苦しみも
あるけれども、そういう自殺ではなくて、実際に
捨身(しゃしん)をする。自分の身を捨てて、自分が
光になって、業を消すというかたちの自殺もある。
 つまり、神様に押されて、守護霊様に押されて、
守護霊様の光によって霊界に転出するという、
その死もある。これは人間の智恵では分かりかねる。
 たとえプラットホームからボーンと飛び込んで、
肉片がいっぱい散って顔もわからない状態になった
としても、本人が本当に悲しみ嘆いて自殺する
場合と、そうでない場合とがあるんです。

 なんであの人がと思う人が不幸になったり
死んでしまったりね。あっという間に居なく
なったりする時には、何かしらの神様の方の
おもんばかりが後ろで働いている。だから、
自分がやろうと思わないことです。自分の
生命だと思わないことです。神様から流れて
来ている生命だと思うことです。

 「久遠の光、神と共に」と書いたのは、久遠の光
というのは、消えることのない絶えることのない
光ですよね。これが、我々のこの身体(からだ)を
貫いて流れている。そして、この光というものは
大宇宙につながっている。宇宙神のみこころに
つながってる。その大愛につながってる我々
というものを、自分の中で、そうだそうだと本当に
思おうとすれば、これはやっぱり祈るしかない。
 何でもいいけれども、我々は世界平和の祈りに
つながった。だから、世界人類が平和で
ありますようにと祈ってゆく時に、皆んなが
そこで光になる。
            (翌日へ続く)