さやけき生命(3)

         (前日から続く)
 光というものは、どんなにでも働くんですね。
 神様は光の元の元です。神様というのは、
どんなふうにでも人に現われて来る。その現われて
来る時は、いい現われかたばかりではないんです。
 非常に手の込んだ、もって廻った現われかたも
あるのです。悪役も一人や二人置いといて、喧嘩を
させたり、色んなことさせたりして、神様が何故
こんなことまでされるのか?というような体験を
させて、人間の出来をもっと上にあげようとする。
 だから光によって全部ワーッと良くなるかというと、
そうでもないんですよね。それは御利益信仰と
同じことになる。

 ですから、ごほうび上げますよと言われたら、
その通りのものがポンと来ると皆思ってしまう
でしょうが、その人は何十生何百生何千生かけて
やって来た、いろんなことがあるわけですね。
 いいこともあるし、悪いこともあるし、
過(あやま)ちもある。それらが混合されて、
生命の糸をつむぐように、今色んなことに現われて
来ている訳でしょう。その中で人間が、
消えてゆく姿の中で、ただ一つの光の自分を
見つけていくためには、ものすごい苦労が要るわけ
ですよね。だから、要らないものはもうけっこう
ですと、もう辛いことはけっこうですと言いたく
なる。みんな言いたくなる。

 ところが、その人の前生に借金がまだ払って
いないものは残っているんですね。
 四次元の光が降ろされ、世界的にも個々人にも
いい方向へ行くんですが、ただその人が固有に
自分で消さないといけないものは、やはり皆、
それぞれに持っているわけで、その分だけは
なんか苦労がまだあるなぁーという
感じなんですね。

 しかし、神様は平等だから、絶対に皆んなを
幸せにするんです。だからそこに信を置けば、
どんなものが来ようと、たとえ自分が八つ裂きに
されようと、そこで「ありがとうございます。」
と言って死ねるんですが、そういうわけには
ゆかないのが人間ですね。何でこんなものが自分の
ところへ来るんだろうと、御神水も飲んでるし、
富士にも行ってるし、いっぱい愛行やっているのに、
色んな活動もやっているのに何故なんだと。これは、
御利益信仰になってきたら、うちの信仰はだめだ。
             (翌日へ続く)