2017年04月20日

い の り

 祈りというのはどういうものかと
いうのは、考えれば考える程わからなく
なる。まじめな信者さんである程そういう
質問をよく受けます。 そういう人ほど
良心的で考え込んでしまって、自分が
出来ていないのに人に薦める訳には
いかないとか、共に祈るような資格は
私にはないんじゃないかとか。そうなると
ちょっとノイローゼに近い位に悩み込んで
しまっている。

 祈りというものは、神様と私の対話
なのです。と同時に、世界人類と私の祈り
でもあります。この場合の世界人類と
いうのは、地球の世界人類だけでは
なくて、宇宙全体の宇宙の星の兄弟たち
との一人一人との、その交信も
含みますね。ですから、真に広い幅に
なる訳です。そこまで考えていくと、
私共の世界人類が平和でありますように
という祈りというのは、非常に大きいし
深い。そして、自分が出来るか出来ないか
ということではなくて、もう向こうの方で
抱きとってもらってる訳なんですね。
 ですから、何も考えずに祈るというのが
一番いい訳なのです。四の五の言ってる
間は理屈なんです。祈りというのは理屈を
超えたものなんです。

 そんなこと言ったって祈れませんと
いう時は、祈れなくていいのです。集会に
行きたくないのに無理に集会に行ったり、
何か行事があるから絶対に人数がいるから
といって集めたって、それはどうにも
ならないんです。その人の気持ちが
どうにも向かないという時に、無理に
薦めたってそれは萎びるだけなんです。
 本体と肉体は違う訳だから、本体は
行きたければ、さっさと霊体が
行っちゃってる訳です。自分の肉体がどう
であれ、霊体は行って統一会に出たりなど
している訳ですから、そこまで我々の
肉体人間が神経質になることは
ないんです。

 ですから、真面目な人ほど色々色々
考えるけれども、しかし、そうじゃなくて、
もう一回、子供みたいに無邪気になって、
世界人類が平和でありますように
という風に祈る。祈って任せる。そこ
からでないと我々の道というのは開いて
いかない。そういう風に思います。
       昭和63年6月13日(月)
           五井 昌久
posted by wadatsumi at 06:39| 祈り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする