2017年04月16日

宇宙神と同格ということについて(後半)

(前半の続き)
 今は、魂というか、そういう本来心が
どんどんどんどん磨かれていって、どんな
時にもみ心の中へ入るようにやっていかないと、
この地球の汚れというものは、なかなか大変
なんですね。今随分掃除が出来てるけれども、
でも根っこの所もまだまだ一杯大変なものが
あるから。それで宇宙神と同格だというのは、
それも本来本当の意味だけれども、あなた方を
励ます、ね。萎縮(いしゅく)するんじゃ
なくって、縮むんじゃなくって、そうだそうだ
生命の本当の本当の底のところで我々は
そうなんだと宇宙神のみ心の中を見てみると、
自分がまわりを平和にしたい、ゆるしていきたい、
自分もゆるしていきたい、健やかに育って
いきたい、生きていきたい、というのと、
宇宙神の方からこちらを見て、いい人間
一人一人を本当に愛してゆきたい、ゆるして
いきたいというのと、一緒なんですからね。
 何にも変わるところがないんですよ。

 ただこの世の中では色んな煩いがあるから、
そういう気持ちになるところが少ないけれども。
 しかし、先程申しました様に、神様が生かして
いる間というのは、悟ってる本体、あなた方の
神体、霊体というのは、常に祈りを捧げている訳、
宇宙神と一緒になって捧げている訳、共に捧げて
いる訳なんです。目には見えないけれどもね。
 ですから、分かれるも分かれないもね、
ずーっと一緒なんですよね。そういう意味で
同格なんです。

 ですから生命のすべてを造った創造主としての
宇宙神というものをへんに想像してしまうと、
そこでおかしなことになるけれども、そうでは
なくて、つまり本当の心の底のところで、
現われも何も超越したところで、我々は一本に
つながっているんだ。そこで我々は
抱きとられてるんだ。愛されてるんだ。ゆる
されているんだ。だから我々もささやかでも、
ゆるして愛してできるだけ平和にという風に
努力をしてやっていったら、その時に
自分の中の霊性が目覚めて、喜んで高まって
いってね、自分の愛の光がゆるしの光が
まわりに飛び交って、そうして、皆の中に
その光の輪が広がっていくというかね。祈り
というものはそういうものなんですね。

 だから、祈ってる時だけがただ光明心が
出てくる訳じゃない。その時だけが同格と
いうのも、それも正確じゃない。常に常に
自分の中で自分の知らないところで、自分の
本体は本心は宇宙神と同じような働きをして
いるんです。

 父子御霊とキリスト教でいいますよね、
三位一体。あれは、父子御霊という風に
分けることが出来ないんです。あれは本当に
一体なんです。

 たとえば、愛とゆるしと平和というものが
それぞれ違うもんですかといったら、これは
みんな一つらなりに連らなってるというのと
一緒なんです。我々は神から分かれてきた生命
であるというのは、じゃあ神様と人間の生命
とはどんな風に違うんですかというのは、
それは正解じゃないんです。一緒なんです。
 一緒なんだけれども、ただ今のこの世の中の
色々な現われでもって、自分の状況でもって、
その言葉なりを測ってしまうと、自分の想像
でもって測ってしまうと、とてつも無くおかしな
事になるわけね。

 そうではない。本体において神体において
本来心において、我々は一時(とき)も神様から
離れたことはない。宇宙神から離れたことは
ないし、宇宙神も離したことは無い。そういう
意味において、不即不離なんだということね。
 これが、我々は宇宙神と同格なんだ
ということの本当の意味なんです。
       昭和63年6月13日
           五井昌久 
posted by wadatsumi at 09:59| 祈り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする