2017年02月28日

水のようにさらさらと流れてゆく生命(13)

         (前日から続く)
 しかし、世界平和の祈りをして、五井先生を
呼んで、悪い世界へ行く筈絶対ないんです。
 死んだらいい世界へ行けるとか、悪い世界へ
行くとかというのは、これは想いが決定する
と言ってますけれど、そんなチャチな世界
じゃない。やはりこの世の中で、いつも
申しましたように、明るく素直に生きるという
ことがとっても大事です。暗くなりかけたら
その時に祈る。あ、いけないと思ったら祈る。
 祈ってスイッチを切り換える。渋滞したら
祈る。これをもう習慣みたいに、御飯食べる
みたいに祈ればいいんです。お茶飲む
みたいに祈ればいいんです。祈りというものは、
祈っただけで光が身体の中に総身(そうみ)に
入って来るものなんです。それが見えてる側
からすれば、ものすごくよく分かるんだけど、
肉体まとっている無神論、物質論者の人達
からすれば、そういう真実は隠されて
いますから…。
               (翌日へ続く)
posted by wadatsumi at 10:20| 祈り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月27日

水のようにさらさらと流れてゆく生命(12)

       (前日から続く)
 地上の生活の中では、自分というものが
無くなっちゃったら困る訳ですけど、本当の
世界へ突入して行くと、自分というものが
有っても無くてもどっちでも構わない。
 何故かというと、神様と一つになる世界
なんだから。自分というものが必要に応じれば
出て来るし、必要がなければ出て来ない。
 というのが本来の光の世界なんですね。
 だからそういう所まで人間を、どんな人でも
神様は持って行くんです。そこまで修行
させるし、修行なんて思わなくてもそこまで
ちゃんと道案内して、守護霊や守護神、
いろんな人達があなた達を連れて行ってくれる。
 その連れて行かれ方というのは、みんな
千差万別ですけれども。
                 (翌日へ続く)
posted by wadatsumi at 09:07| 祈り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月26日

水のようにさらさらと流れてゆく生命(11)

       (前日から続く)
 肉体というものの生命は、たかだか
50年か60年か、よく生きて80年か…
 人間の本体はそんなもんじゃないですから、
7,80年の生命は何ともないわけですね。
 私のように神様に生命を返してしまったと
いうことは、神様と一つになってる。神様
というのは、前にも言いましたように、
無限の供給、生命の供給なんです。

 ところが、無限の生命の供給というと、
永遠に生命が続いて死なないんだと。
 肉体の生命がずっと続いて行くんだ
というように、地上の生きている側から
すれば、そういう想像しか出来ないん
ですが、そうではない。
 自分の奥の奥の生命そのもの、本質的な
生命の時間がずーっと続くということです。
 余分なものがどんどん払われて、祈りと
自分が一つになって、祈りが自分なんだか、
自分が祈りなんだかわかんない。そこまで
世界平和の祈りを唱えて唱えて、そして、空を
突き抜けて、無を突き抜けて、光の中へ
突入しちゃうと、こりゃもう自分というものが、
その時どうでもいい訳です。
               (翌日へ続く)
posted by wadatsumi at 11:52| 祈り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする